海鮮丼やお刺身を食べる際、どんな醤油を使うだろうか。 わたしは辿っていけば九州の血がめぐっているようなので、九州の甘い醤油が好きなのだが、あそこまでの甘さはいらないな、みたいなときもある。 そんなときにちょうど良い甘さなのが、このあまうまいだししょうゆ。
はま寿司に行ったことがある人であれば、はま寿司のだししょうゆに近い味、といえばわかりやすいだろうか。 いったことが無かったとしても、回転寿司で使う醤油にかなり近い味。 ほのかな甘味とだしで、海鮮丼に使うととてもおいしい、おすすめ。
海鮮丼やお刺身を食べる際、どんな醤油を使うだろうか。 わたしは辿っていけば九州の血がめぐっているようなので、九州の甘い醤油が好きなのだが、あそこまでの甘さはいらないな、みたいなときもある。 そんなときにちょうど良い甘さなのが、このあまうまいだししょうゆ。
はま寿司に行ったことがある人であれば、はま寿司のだししょうゆに近い味、といえばわかりやすいだろうか。 いったことが無かったとしても、回転寿司で使う醤油にかなり近い味。 ほのかな甘味とだしで、海鮮丼に使うととてもおいしい、おすすめ。
部屋の隅で育てているサボテンに腕が生えてきた。 うまく行けば 🌵 みたいに踊れるようになる
いつもどのようなケガをしているだろうか。 そう思い返すと、わたしは普通にやっていたらそうはならないだろう、といった器用 (不器用か?) なケガの仕方をする。
最もよくあるのは、包丁を触っただけでケガすること。 別に変わった包丁を使っているわけでもないが、使うたびになぜか指を切っている。そしてケガをしたことに気がつくのは翌日などだ。 切り方も危険な切り方をしているわけでもなく、豆腐のような手のひらの上にのせて切るものを切っている訳でもない。だけど切れている。謎である。
今日はアイロンを使っていたら手を火傷した。ただ、手のひらや指を火傷したわけではなく、指と指の間 (指間腔と呼ばれるらしい) を火傷した。どうやったらアイロンでそんなところを火傷するのだと思うかもしれないが、それはわたし本人が一番不思議に思っている。火傷をしたら流水などで冷やすのがよいが、長時間台所や洗面所で立って冷やすわけにもいかないので、保冷剤や冷凍したタオルで冷やすことになる。が、冷やしにくい。指と指の間なので、そもそも保冷剤だと患部に触れないし、冷凍したタオルでも火傷した場所よりも指の方が冷える。そうすると今度は指が強く冷やされることになって、そちらに痛みが出てくる。一方で火傷した場所も強烈に痛い。地獄である。
最終的には常備薬としてある痛み止めを服用して、2〜3時間程度冷やすことで落ち着いてきた。が、まだうっすらと熱を持っているような気がする。
今はまた指の別のところが何故か痛いが、今日はそういう日なのだろう。と思いながらこの文章を書いて、1日を終えた。
鮭フレークにマヨネーズ加えてまぜたやつをごはんにのせて食べるとおいしい
大切な人と、いつかまた巡り会えますように
プラスティック・メモリーズというアニメ (もう10年近く前......) の登場人物であるアイラが言っていた、そして最期に言われた台詞。
プラスティック・メモリーズは、心や感情を持つアンドロイドである「ギフティア」と、そのギフティアと過ごした人間との最後の時間を描いた物語。 ギフティアの寿命は約9年と4ヶ月と設定されており、寿命を迎えるギフティアたちを「回収」する仕事をしているのが、主人公であるツカサと、そのパートナーのギフティアとして割り振られたアイラ。 アイラ自身に残された時間も数千時間となっており、迫り来る変えられない未来に対して、どう向き合っていくのか、という作品。 そして、そのアイラが回収されるギフティアへ最期にかけていた言葉がタイトルの「大切な人と、いつかまた巡り会えますように」という言葉であり、ツカサからアイラに最期に言われた言葉でもあります。 この言葉には、他の「回収」を行っている部署にはない、アイラの優しい性格が強く表れています。
さて、自分はこういった、変えることのできない確定した未来へと進んでいき、物語特有の奇跡も何も起こらず、結局主人公はその未来を受け入れる、もしくは打ちひしがれるしかない物語をよく好きになる傾向があります。 似た作品としては、「Angel Beats!」や「さよならの朝に約束の花をかざろう」、「四月は君の嘘」のようなものがあげられます。 そして、ふとしたタイミングでこれらの作品を見たくなるときがあり、そのたびにこれらの作品を見て心を傷つける一種の自傷行為的なものをしています。
わたしは気持ちがある程度落ち込んでくると、死に対する恐怖が薄くなり、生への執着がなくなって行くことが多々あります。 もともとの身体的自傷行為が心理的な苦痛を和らげるためにされることが多いのと同様に、わたしはこれらの作品を見ることで、主人公が "残される側" となり、もう一人が "残す側" となるような物語を接種することで、ある程度死への恐怖心を、生への執着心を取り戻すというのがあると思っています。
今回のプラスティック・メモリーズは、物語序盤では感情が薄かったアイラが、ツカサと過ごすにつれて徐々に感情が豊かになり、最後に自身へ訪れるその時を恐怖して泣いてしまうといったシーンがありました。語られていなかっただけという可能性はありつつも、物語で登場した他のギフティアたちの多くはその運命を受け入れ、回収されていきました。しかしもともとアイラは他のギフティアたちより感受性が豊かであった (物語開始前の出来事によって薄くなっていた) という点があるので、感情が強くなっていくことでより人間らしく生きたい、死というものへの恐怖という感情が芽生えたのだと思っています。またツカサ側も、最終的には理性的な行動を取ったものの、このまま二人でどこかへ逃げ出してしまおうと言ってしまったりといったアイラの死への抵抗の感情も徐々に強くなっていってるシーンもありました。 先に挙げた作品たちも、境遇は違えどどれも生死による別れとその課程を描いた作品であるため、同様のシーンが現れます。
そういったシーンがある作品を摂取し、噛みしめることで、バランスが崩れた心を修復し次の数か月を生きる。 そのような生活によって、メンタルのバランスを保ち、ある程度初対面の人に「丁寧で話しやすい」「優しい」といった印象を与えられるようになった。し、それを続けていくつもりだ。
〜書くのに数日かかったので結論が行方不明