ゆうなぎ日記

日常を綴る

心をいじめている

大切な人と、いつかまた巡り会えますように

プラスティック・メモリーズというアニメ (もう10年近く前......) の登場人物であるアイラが言っていた、そして最期に言われた台詞。

www.plastic-memories.jp

プラスティック・メモリーズは、心や感情を持つアンドロイドである「ギフティア」と、そのギフティアと過ごした人間との最後の時間を描いた物語。 ギフティアの寿命は約9年と4ヶ月と設定されており、寿命を迎えるギフティアたちを「回収」する仕事をしているのが、主人公であるツカサと、そのパートナーのギフティアとして割り振られたアイラ。 アイラ自身に残された時間も数千時間となっており、迫り来る変えられない未来に対して、どう向き合っていくのか、という作品。 そして、そのアイラが回収されるギフティアへ最期にかけていた言葉がタイトルの「大切な人と、いつかまた巡り会えますように」という言葉であり、ツカサからアイラに最期に言われた言葉でもあります。 この言葉には、他の「回収」を行っている部署にはない、アイラの優しい性格が強く表れています。


さて、自分はこういった、変えることのできない確定した未来へと進んでいき、物語特有の奇跡も何も起こらず、結局主人公はその未来を受け入れる、もしくは打ちひしがれるしかない物語をよく好きになる傾向があります。 似た作品としては、「Angel Beats!」や「さよならの朝に約束の花をかざろう」、「四月は君の嘘」のようなものがあげられます。 そして、ふとしたタイミングでこれらの作品を見たくなるときがあり、そのたびにこれらの作品を見て心を傷つける一種の自傷行為的なものをしています。

わたしは気持ちがある程度落ち込んでくると、死に対する恐怖が薄くなり、生への執着がなくなって行くことが多々あります。 もともとの身体的自傷行為心理的な苦痛を和らげるためにされることが多いのと同様に、わたしはこれらの作品を見ることで、主人公が "残される側" となり、もう一人が "残す側" となるような物語を接種することで、ある程度死への恐怖心を、生への執着心を取り戻すというのがあると思っています。

今回のプラスティック・メモリーズは、物語序盤では感情が薄かったアイラが、ツカサと過ごすにつれて徐々に感情が豊かになり、最後に自身へ訪れるその時を恐怖して泣いてしまうといったシーンがありました。語られていなかっただけという可能性はありつつも、物語で登場した他のギフティアたちの多くはその運命を受け入れ、回収されていきました。しかしもともとアイラは他のギフティアたちより感受性が豊かであった (物語開始前の出来事によって薄くなっていた) という点があるので、感情が強くなっていくことでより人間らしく生きたい、死というものへの恐怖という感情が芽生えたのだと思っています。またツカサ側も、最終的には理性的な行動を取ったものの、このまま二人でどこかへ逃げ出してしまおうと言ってしまったりといったアイラの死への抵抗の感情も徐々に強くなっていってるシーンもありました。 先に挙げた作品たちも、境遇は違えどどれも生死による別れとその課程を描いた作品であるため、同様のシーンが現れます。

そういったシーンがある作品を摂取し、噛みしめることで、バランスが崩れた心を修復し次の数か月を生きる。 そのような生活によって、メンタルのバランスを保ち、ある程度初対面の人に「丁寧で話しやすい」「優しい」といった印象を与えられるようになった。し、それを続けていくつもりだ。

〜書くのに数日かかったので結論が行方不明